NBAの元スーパースターのコービーブライアントさんが41歳の若さでヘリコプターの墜落事故により死亡しました。ヘリに同乗していた13歳の娘さんも死亡され、新年早々なんともやりきれないニュースが飛び込んできてしまったなという思いの方がほんとんどではないでしょうか。
 お名前の「コービー」は「神戸牛」が由来ということもあって日本でも知名度が抜群だったコービーブライアント選手。心からお悔やみを申し上げたいと思います。
 今回の記事はコービーブライアント選手に哀悼の念を表しつつ、過去に残念ながらスポーツ選手が犠牲となった墜落事故について振り返ってみたいと思います。
 

ミュンヘンの悲劇

 1958年2月6日に当時の西ドイツにミュンヘンのリーム空港で起こった航空事故。この事故で現在プレミアリーグの名門チームとしてお馴染みのマンチェスター・ユナイテッドの選手が8人死亡しました。イングランド史上最高の選手と言われているボビー・チャールトンはこの事故の奇跡的な生存者です。

ガボン航空惨事

 1993年4月27日にサッカーザンビア代表の選手らを乗せた輸送機がガボンの首都リーブルヴィルの空港を離陸直後に大西洋上に墜落した航空事故。この事故によりザンビア代表選手18名が死亡した。
 この当時のザンビア代表は1988年のソウルオリンピックでは準々決勝で西ドイツに敗れたもののグループリーグをイタリア代表やグアテマラ代表を破りグループリーグ首位で突破し準々決勝進出を果たすなどした世代からなるチームで非常に期待されていた世代でした。

ラミア航空2933便墜落事故

 2016年11月28日、ボリビアのサンタ・クルス・デ・ラ・シエラからコロンビアのメデジンへ向かっていた航空機が、コロンビアのアンティオキア県で墜落した航空機事故。
 この事故では、ブラジル・セリエA所属のサッカークラブ「シャペコエンセ」の首脳陣・メンバーの大多数の方々が犠牲となりました。(Jリーグとゆかりのある選手や監督も犠牲となったこと。またシャペコエンセがその後スルガ銀行チャンピオンシップにて浦和レッズと対戦することになったこともありこの事故は日本でも大きく報道されました。)

エミリアーノ・サラ選手の飛行機事故

 2019年1月19日に2022年6月30日までの契約でカーディフ・シティFCに加入することが決定したエミリアーノ・サラ選手。しかしその2日後の1月21日、ナントからカーディフへ向かうため搭乗した小型飛行機の中から家族や友人向けに「壊れそうな飛行機に乗っている」「すごく怖い」との音声メッセージを発したのを最後に離陸した飛行機が消息不明となり翌月の2月3日に海底にて期待及びサラ選手の遺体が発見されました。
 また当時ナントの監督は日本代表を率いた経験のあるハリルホジッチ監督だったこともあり日本でもこの事故は大きく報道されました。

 以上過去にスポーツ選手が犠牲となってしまった墜落事故についてまとめてみました。コービー選手の事故がこのような痛ましい事故の最後になることを強く祈りつつ記事を終わりたいと思います。