私の地元富山県高岡市の2歳児行方不明事件やそれからわずか1か月後に発生した千葉県松戸市の小学生女子行方不明事件のようにここ最近子供の行方不明事件が相次いで発生しています。
特にこの記事を書いている時点で松戸市の小学生女子行方不明事件に関しては未解決の状態。
行方不明の女の子が無事にご両親の元に戻ることを祈ってやまない日々が続いています。
さてそんな子供の行方不明事件。
ざっと世界を見渡すととんでもない事件があるものです。
今日は「行方不明の子供が見つかったことで解決と思われたのち大逆転が待っていたボビー・ダンバー事件」を紹介したいと思います。
目次
➀ボビー・ダンバー事件 事件概要まとめ1
事件が発生したのは1912年のアメリカルイジアナ州。
ダンバー夫妻が4歳の息子のボビーと湖へやってきた際にボビーが行方不明となってしまいます。
警察の懸命の捜索も甲斐なく時間だけが過ぎていきます。
しかしボビーが行方不明となってから8か月後に大きく事態は動きます。
なんと夫妻のもとに警察から「ボビーが無事に発見された」という連絡が入るのです。
➁ボビー・ダンバー事件 事件概要まとめ2
ボビーが発見されたのはミシシッピ州。
ウォルターという行商人と一緒にいたところを保護されました。
そして警察はウォルターがボビーを誘拐したとして逮捕!
これでめでたく事件解決かと思われましたが事態は意外な方向に進みます。
なんと逮捕されたウォルターは子供はボビーではなく自分の知り合いのジュリア・アンダーソンの息子のチャールズだと主張したのです。
⓷ボビー・ダンバー事件 事件概要まとめ3
このウォルターの主張を裏付けるかのようにダンバー夫妻も目の前の子が本当にボビーなのか半信半疑だったようです。
しかしボビーには身体的特徴として痣がありその痣が決め手となり今回発見された子がボビーであるとようやく信じることができるようになります。
ところがジュリアやウォルターからすればたまったものではありません。
その後の裁判でボビーとされる子供はチャールズであるとして自分たちの潔白と冤罪を晴らそうと試みるも敗訴。
こうして見つかった子供はボビーであるとして本事件は決着したのでした。
⓸ボビー・ダンバー事件 ボビーは本当にボビー?それともチャールズ?
その後ボビーは結婚し子宝にも恵まれ1966年に死去します。
そしてその後に本事件は再度大きく動きます。
ボビーの孫娘であるマーガレットが本当に発見された子供はボビーだったのか調査に動きます。
マーガレットの父親・・・つまりボビーの息子であるボブにDNA鑑定を受けるように依頼します。
そしてその結果はマーガレットの祖父はチャールズであるというもの・・・
つまり行方不明後にダンバー夫妻のもとにボビーとして戻ってきた子はジュリアの子チャールズだったという大逆転の結果だったのです。
⓹「行方不明の子供が見つかったことで解決と思われたのち大逆転が待っていたボビー・ダンバー事件」まとめ
以上「行方不明の子供が見つかったことで解決と思われたのち大逆転が待っていたボビー・ダンバー事件」まとめでした。
当時DNA鑑定がまだなかったとはいえ無実でありながら我が子を奪われるかたちとなったジュリアや誘拐犯の汚名を着せられたウォルターはたまったものではありませんよね。
今回の松戸の事件では少女の無事な発見とともにこのボビー・ダンバー事件のようなことにならないことも併せて祈りたいものです。